とうとう川内康範もお亡くなりになられてしまいました。例の騒動はともかく、まともな正義論が語れるかもしれない人がいなくなってしまったのが残念です。政界もどうなるのか。
今回はちょっと正義論について、「コードギアス」と「仮面ライダーキバ」を引き合いにだしてみたいと思います。名護啓介(キバ)については、脚本家の意図はおそらく、「一方的な正義を振り回す者は、その行為も正義感も悪となる」というものかもしれませんが、そこまで持っていくのに時間がかかりすぎかと思いました。それまで「清廉潔白な正義の遂行者」としてのイメージを前面に出し(まあそれを崩壊させるのも手法ですが)、そういうキャラクター性を確立させたわけですが、その経緯のせいで、見る側が誤解を起こすということも考えないといけないと思う。だから早めにヒントを出せばよかったんじゃないか?とか思ったりしました。
この名護については、「コードギアス」の二人の主人公にも通じるところがあると思います。自身の正義論を正しいと思い込み、祖国に反逆したルルーシュとスザク。彼らの正義も、立場が変わればまた悪となる。これまでの歴史で語られてきた正義とは、常にそんな危なっかしさを持ち合わせているというのが製作者の意図かと思われますが、昨今の製作者に、それをちゃんと説明できるほどの、心に根差したものがあるのかどうか、と疑ってしまいます。こういう作品が成り立つようになったのも、やはり「エヴァ」の影響かと。ちゃんとした解答が製作者に出ないまま、作品を完結させてしまったので、おそらく今度の劇場版で挽回したいのかも知れませんが、はたしてどうなるやら。
「キバ」の第10話・過去編に関しても、主人公を周囲大勢でいじくり倒すという、きょう日のバラエティ番組の出演者いじりみたいなことをやっていましたが、(バラエティも含め)子供の見る番組でああいうことをされると、やはりいじめの助長をしないか?と不安になってくる。この前見た「SP」スペシャルの1シーン、退屈になった同僚たちが、同僚の一人にいたずらするところがあったが、あれはやられた本人が「そういう使い方するものじゃないでしょ!?」と言ったおかげで、体裁は守られたと思う。それくらいは、作り手の責任として、カメラに収めてほしいと思う。
ちょっと方向が変わってしまったが、「善と悪の両面を抱え、互いの正義が交差する。正しさだけを主張する強いヒーローには、視聴者は共感できない時代なのだろう。」と、新聞の番組紹介欄では括っていたが、それは逆を言えば、作り手もそうだが見る側にはそれだけ心に根差したものがなく、判断力も失った。のが現代社会なのだろうと、私は思いました。そう思うと少し寂しく、やはりちゃんと見て、自分で自分なりに判断できるようにしないといけないな、と思いました。正しさだけを主張するのは確かに危険ですが、それに簡単に屈するのではなく、それを人間としてちゃんと判断できなければいけないのが、昨今の現代社会の急務なのでしょう。正義とは、いわゆるオンリーワンの賜物。これが行き過ぎたのが日本の現代社会情勢なのかもしれません。アニメとかに頼らず、オンリーワンの概念も見直さないといけない時期なのかも知れません。
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