学問・資格

キャラクター文化は誰がために?

 今日更新することに。世の中ではまたややこしいことになっております。千葉県の事件も、またヲタク趣味のせいにしようとしているようですが、とんだ固定概念です。もっとも、その容疑者の人格まではわからないので、どうとも言えませんが、いちいち決め付けてしまうのはイヤな話。どんな業界でも一般でも、偏った志向の人はいますよ必ず。それを趣味のせいにするのはそれこそ偏見です。

 この件についてはこのくらいにしておきます。今日は著作権のことについての推察を。最近いろいろと問題視されているようですが、果たしてどうなのだろうか。考えるようになったのは「サンライズの銭ゲバ体質」というところから。アニメは作った人のものか、見る人々のものか、それとも売り手のものか。いわゆる「タマゴが先かニワトリが先か」という問題です。http://www.cyzo.com/2008/10/post_959.html

 「ガンダム」を例に挙げると、最初に富野御大が創通(とバンダイ)に売ってから、原作者で監督の富野氏が口出しできなくなった。日本では買取契約が主で、買い手が買い取った瞬間に、買い手の所有物になる制度になっています。結果、富野御大は「ガンダム」から手を引かねばならなくなりました。その中で生まれた「ターンAガンダム」は、オールドファンの生み出した奇跡かも知れません。ところで、「仮面ライダー」でも同じことと思われる。これは放送局の要望で東映が石ノ森章太郎氏に原作を発注、それから買い手(おそらくバンダイ)がついてから、原作者はキャラクターデザインだけが許された権限になったようで、あとは向こう(権利者)の要望に答えることが必須条件になっている様子。結局、スポンサーとなる玩具メーカーが全ての権限を掌握するカタチになります。

 一方で、出版社が作品の性質を歪めてしまう結果になることもあるようで。「ウルトラ」については、円谷が講談社に宣伝を要求したのが最初のようで、その結果、制作者本来の意向が捻じ曲げられる結果となり、「ウルトラセブン」のアノ話に繋がります。さらに「バトルフィーバーJ」(これは出版社が原作か?)においても、当時行った契約が、期限を過ぎれば手出しできなくなってしまう、とか。これには外国の考えも当然あるわけで、それを日本人が理解するのは難しいので言及しないが、少なくとも「スパイダーマン」ですら、これまで販売権を持てなかったのは事実。

 結局、作品観は時代の流れやその時のファン層によって人気も左右される。制作側はその意向をどこまで受け入れるかによって自由度が変わるのであろうが、その制作側の足を引っ張りかねないのが、内部の売り手であると言えるだろう。結局、上記のヒット作品も、現場の努力とファンでドル箱産業に為り得たというのに、それで「遊んでてもカネが入る」状態になると、その既得権に執着し、自分たちの意向だけに従うモノだけを囲いいれたり、そうできるように囲い込んだりするようだ(「イマジンあにめ」もこの状況?)。結局、「銭ゲバ体質」もココから来るのは間違いないだろうし、一方で販売権を独占(サンライズ=バンダイ)したり、振り回したり(最近では小室哲哉か?この人は結局持っていなかったが。むしろ7億円要求したアノ人か!?)、感情的な誰かが無理やり押し込めたり(「ウルトラセブン」もそうなったのか?もっとも、説明しなかった出版社や円谷が悪いとも取れるが)、自分たちから持ち込んで、契約までに儲かったら手出しできなくしたり(最初からその目的だったとも思うが)するようだ。

 しかし著作権を持つ者ばかりが悪いかどうかはわからんが、使い方をゆがめてしまっている可能性も当然ある。バンダイに至っては特に、バンプレストのことがあるので。Wikiで見ることが出来たので初めて知ったのだが、その時子会社にあたる会社を任されたバンダイの役員の人が、起死回生の策として投じたのが、「スパロボ」などにおけるクロスオーバーだったということである。結果、親会社のバンダイに収入が入りにくくなったということのようで、それで尚更厳しくなったようだ。これも既得権を守るための感情的な政策と取れるのですが。サンライズの銭ゲバも、おそらくここに起因するのでしょう。サンライズもバンダイの傘下に置かれるようになったのは、そこに要因があったのかも知れない。結局、現在ではバンダイも窮地を迎えているようで、子会社のバンプレストを組み入れるカタチをとったようだが、その窮地を迎えたのは他ならぬ親会社の向こう見ずな経営方針じゃないのか!?と言及したくなる時もある。バンプレストが起死回生の策を打たなければならなかったのも、そんな経営方針のせいだし、その時の役員さんも、会社への忠誠から始め、決して裏切らなかったんだし。なのに親の方が、子供のこづかいをギャンブルにつぎ込むようなマネをしちゃ、作品を育てるファンに対する裏切りだと思うのですよ。

 作品にとって、制作者は生みの親ではある。しかし作品を長年愛されるものにできるかどうかはファン次第で、こちらが育ての親となります。「生みの親より育ての親」という言葉もあります。子育ても、「生んだらそれだけで親」みたいな風潮が出回っている感覚があり、非常に遺憾です。子供を一人前に育て上げてこその親です。その元々当たり前だったことが、歪んだ自由主義のせいで、最近のイヤな事件に繋がっていると考えられます。私は子持ちではありませんし、そこまで出来る自信もありません。しかし、子供たちに少しでも良いものを残したいとは思います。整理された路線まで残すほどお人よしではありませんが。それはさておいて、生みの親が、育ての親であるファンという子供たちから、遊び道具の一つであるといえる作品を、そんな感情的かつ自分勝手な理由で取り上げるのは卑怯だと思う。ファンもファンで、二次創作になるとエロ同人とかが目立ちます。それを許容するのは難しいかも知れない。それこそ「僕は笑えない」という織田裕二の気分でしょう。でもそれを許容するのも、生みの親の余裕が必要かと。二次創作も一種のモノマネ、そんなものかもしれない。「エロを作るな」とは言いたくない。私も楽しみだし。しかし、既得権を持つ権力者の横暴で、押さえつけられようとしている。それは自分勝手な親と変わらないと思うし、一方で、「日本では許される」からといって、やりたい放題するのもよろしくないでしょう。生みの親の権力者(織田裕二の場合、こっちの立ち位置か)は、生み出されたものが一種のワンダーと捉える余裕が必要だろう。そのワンダーは、新たなユーザー獲得のための布石に為り得るし、既得権を後世に残すことができる。育てる情報発信者たるファンも、何よりも「作品を正しく見る」「根本だけは正しく伝える」のが最大の責任だと言える。それさえ守れるならば、あとはその人のサジ加減に任せてもいいんじゃないか?と思う。私も二次創作する上で、作品に対する責任が必要だし、それは守ろうと思っている。しかし、こう規制が厳しくなると、ホントやりにくいな。いくらテキストだけとはいえ(たまに私物の写真を使う程度)、戦隊で「バトルフィーバーJ」が使えないぞ。「ガンダム」も今の状況じゃ、ガンプラの改造すら、なぁ…。

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歴史も含め、教育基盤が無ければ、水平社宣言も意味がありません。

 年末の押し迫る中、今宵もせわしなく過ごしております。今回はちょっと雑誌の記事を紹介。深い内容です。http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20081203-01/1.htm

 雑誌「SAPIO」の記事とのこと。ニフティのページで紹介されていたものですが、戦後教育しか受けていない世代としては興味深い。「世界史の履修が足りなくて補修」という報道がされたのも今や昔。第一、履修が足りている都会部では、「塾で教えているから大丈夫」というからくり。日本史を必修にしてないのかよ!!…本末転倒でした。それはさておき、文章のタイトルと前文の一部を貼り付けておきます。

「人間は平等だから」という理由であの偉人が教科書から消えていた

 拝金主義が蔓延し、弱肉強食を当然のこととする。←階級闘争史観の部分

 国家の土台を作る教育に第一の原因があることは間違いない。

 GHQが敗戦前の日本の歴史を全否定し、東京裁判史観に基づいた教育を日本に強い、それに階級闘争史観を持つ左翼系の学者が乗ったからだ。偉人の価値を権力に抵抗したかしないかで決めたり、「人間は誰でも平等」という社会主義的イデオロギーで偉人を排除したりした。

 本当はこういう貼り付けとかは著作権なにがし(これについては、また思うところがあるのでいずれ)とかで、よろしくないのではありますが、将来的に重要な内容ではあるので、文章の一部をピックアップさせていただきます。書いたからといって大丈夫というわけではありませんが、少なくとも無礼ではなくなるはず。ともかく、この部分を見てみるだけで、日本の(特に歴史)教育が非情に偏っていることが窺える。反乱分子だから低俗とか、そういうことまで語るつもりは無いが、そういう人たちにはそんな社会主義的イデオロギー(観念思想というらしい)がつきまとい、かなり感情的な部分が多いのは誤魔化しきれないと思う。「人間は誰でも平等」という、水平社宣言における思想は大事だと私も賛成だが、それに胡座(あぐら)を掻いている保護対象者も多い。そういう人たちも多いのが、日本の美徳の廃れた原因というのは私も頷かざるを得ない。自立を目指してがんばっている被差別者も、いわれの無い(偏見的)差別を受ける人たちも未だに多く、気の毒ではあるのだが。ちょうどこの前の講演会の内容が、その差別だったもので。こういうことも歴史では教えないからなぁ。やはり左翼思想は歪んでいるのか!?…そりゃ学級崩壊もするわな。学生運動も、最終的には歪んでしまったし。決起者は讃えても、運動に関わっていた人たちは選ばないとな。特に「自慢げに語る見栄っ張り」は信用せずに話半分で留めておいたほうが良いでしょう。

 …やはり年末の忙しない(せわしない、です)時期のせいなのか、今日は文章に落ち着きが無い。調子が良くないようですし、これも深くは書けない内容です。今回も前文を端折って(はしょって、と読む)、思うところを書くだけに留めておきます。これ以上先は言及できないし、ちゃんと記事の内容を読んでいただきたい。ただひとつ書き加えておきたいことは、「やはり(ココロの)勉強は自分でやらないとダメだわ」ということです。

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夏休みも終わって、仕事も始まりました。

 おそらくココロさん本の紹介ページから飛んできた人もいると思われるので、まずはよく来てくださいました。紹介ページの説明でまず間違いはないですこのページ。でもそんなに鼻息荒くしているつもりはないのですが。もともと模型が好きで、模型ページをはじめるつもりだったのですが、世の中の流れを模型業界から追っているうちに、今の状態に。でも私は経済評論家でもジャーナリストでも無いです。庶民として思ったことを書いているだけですので、あとの判断はそれぞれに自己責任でお任せしております。だからここで書かれていることは、ほどほどに受けてください。しかし、アクセスワード検索とか見てみると、決してココロさん絡みばかりではないようだ。私自身こういう部分にも気を使っていかないとイカンな。

 さて、どうしたものか。ここ最近は特に目新しいこともない。まだ知人に頼んだコミケの釣果ももらってないし。今回は安上がりに済んだのがありがたい。現在の楽しみは、今週末の「日本SF大会(DAI-KON7)」である。土曜日が特に楽しみだが、見にいけるのかどうか、スケジュールが心配である。ようやく生活が安定するところだし。そのまま安定してくれれば良いのですが、現在のところは何ともいえない。でもコレまでのお仕事量に比べたら、距離が近い分ありがたい。問題なのは契約が継続されるかどうかが心配事。まあやっていくしかあるまい。せっかくだし、この機会に通信教育でも受けたいところだ。雇用形態にこだわって、「仕事=お金のため」というのもつまらんと思うが、それはそれぞれの問題。難しい問題ではあるが、少なくとも現在の労働者世代は、もう戦後の労働基準ではないし、バブル絶頂期でもない。「職業選択の自由」も昔の言葉ではあるが、かといって安定を求めることも出来ない。ならば、方法はどうあれ、やってみたいことを模索し、そのための勉強をしてみたら良いのかも知れない。まあ法に触れるようなことはしないように。

 それはおいといて、今日は「情報ライブ ミヤネ屋」でコスプレ(サミットと思われる)の話題が取り上げられたようだが、見ていないのでわからん。あの番組だから、決して悪くは取らないと思うが。今年の優勝はブラジルに持っていかれてしまったが、日本は大阪ががんばってくれたので、直接見た人間としては、なんとなくウレシイものがある。しかし、なぜ発祥の日本が優勝出来ないのだろうか?いまだ謎である。そもそも開催から数年たってようやく参加できるようになったし。

 さて、あまりしていない「キバ・ゴーオンジャー劇場版」に少し触れましょうか。轟音の方は、元々のお話がちょっと甘い(と思うのは私の個人的感想)部分がある分、ほどほどにしか楽しめないかも知れないが、物語としては、程よく子供向け番組らしく、そういう部分にウェイトを置くと、十分面白いと思う。そもそも、子供向けの番組であって、一部のヲタクのための番組ではないということを忘れちゃいかん。「キバ」の方は、まさかCMの映像や、雑誌の紹介記事の一部(減らされたのはわりと少ないが)が、ディレクターズカットを待たねばならないという、不測!?の事態に。一部のチョイ役もカットされてしまうという結果です。どうカットされたかは、直接見ていただきたい。そのためもあるのか、どうも話にまとまりがないと思うが、それは厳しすぎ!?スピンオフのブロードバンドも、どちらかというとお遊び要素が強いし。まあコレについては、初めての試みであって、出だしとしては良かったのではないか、と思う。まあ好きな人は、自分の好みとかは二の次にして、見てもらいたいところです。それを介入させて作品を見ると、途担に面白くなくなるので。ひとまず、来月以降の映画や物語の流れに注目するとしよう。

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