今日になって、また新しいコが入ったわよ。「PC少女 リプル」だそうな。ちょうど時計パーツも欲しかったところなので。でもスケブにカンペって、テレビのADかいな。それにしても撃墜帝さん、設置が早かったな…。というより、どんどんココロさんの立場が…。
ちょっとややこしいこともあったりしたものですが、多少毒も吐いたので、少しは気分がマシになった。自身のスペースで毒づくのは私もありです。けど他所のスペースで、自己主張の名のもとに毒づくのはどうかと思うこともあるわけですが、私が物事を別の方向に進めてしまい、私自身がワガママ語っているように見えてしまったのは、私の至らなさの限り。チョーセnだか長髪だかに見えてしまうというのも、自身の至らなさだから、これは新たな猛省材料だ。そんなに個人攻撃に見えたのか?そりゃ当人には個人攻撃だと思われても仕方ないが、そういう方向に持っていってしまったのは、やはり論理的思考に程遠い、自分勝手な振る舞いなのは間違いあるまい。そういうのを嫌っておきながら、自分で火種を大きくしてどうする。
これにおいては、また考え直さなければならんところ。今回はネタ思いつかないので。そういう内情もひっくるめて、今回はこの記事を紹介。
社員は記者クラブでふんぞり返り、厳しい現場は制作会社に丸投げする「殿様報道局」http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20090514-01/1.htm
という内容。読んでみると、やはり現状はひどいものだと思いました。「週刊誌の情報はアテにならん」とよく言われますが、最近は新聞より信用できる内容も多いですよ。週刊誌に書くのは主にフリーの記者です。フリーの記者は、自力で情報を集める、制作会社のスタッフのようなものです。クラブに詰めて、制作会社からの情報を使って手柄を横取りしている、大手テレビ局のお偉いさんとは違うのです。もはや報道とは名ばかりの、横取り特集ばかりなのが、今のテレビ番組だそうで、現場に行っている制作会社の人々は、テレビ局の現実離れした要求に応えるために必死で、過密スケジュールも相まって誤報も起こしてしまう。それで責任の所在はどうなるかというと、テレビ局は人事異動、制作会社はシッポ切りに遭うという結末に。テレビ局の皆さんは何をやったんだ!?つまらんバラエティーを作っているだけじゃないのか!?とも思いたくなるワケです。
それだけではなく、新聞社の記事を紹介するワイドショーの一幕も多いでしょう。あれも結局、テレビ局の取材も無いただの後付け報道です(ブログでこういう、記事の引用をするのも同レベルではあるのですが)。難しいことは外部に丸投げ、これは現在のアニメ制作にもあることです。これじゃ技術は上達しないし、伝承も無い。結局、現場に携わる人々の能力が低いままで止まってしまいますもの。原画崩壊も目立ちます。話を戻して、海外の紛争地帯の取材も、テレビ局は安全地帯で報道し、紛争地に赴いている制作会社の情報を寝て待つだけなのですよ。理由は「危ないから行ってはいけない」で、終いにゃ人材派遣も外部に丸投げだと、どれだけ怠けているんだ。
さらに、社員にも良し悪しが多いのですが、現場から放れて出世する無能な社員も多いようで、自慢ばかりするテレビ局の社員もいるとのこと。そういう現場に入らずに出世する社員ほど、現実離れした要求も多いらしく、結局現場を混乱させるだけの役立たずだったりします。こういう人々はアタマがいい人が多く、上司の顔色を伺って仕事する要領だけがイイ者が多いようで、論理的な説明はうまいかも知れません。でも、知識も経験も無いため、情報のうそを見抜けないそうです。さらにその責任を、制作会社に責任転嫁したりする。やはり勉強だけが出来るヤツが偉くなったらアカンわ。例えばどこぞのヒーローもののプロデューサーも、論理的な作品批判で就職に成功したようだが、今の氏が携わった作品群は、(プロデューサーという親分に必要なのは)おもちゃ会社やうるさい社会情勢の事情はともかく、それをねじ伏せるくらいのダイナミズムと説得力(コレも論理的説明)が必要。なのに、かつてのその論理的批判に反する制作情勢。やはりアタマが良いだけのアタマデッカチか(これも個人批判になりうるのでしょうが、誰のことを書いたか、わかる人しかわかるまい)。もっとも報道も、庶民が個人的なスペースで毒づいていても、「アホウがいじけて騒いでいるだけ」と、まともに意見も取り付けまい。アタマの良い人ほど、他人を相手にしないものですよ。いちいちビクついていたら、批評家もブロガーも、自分の言いたいことを言えないし、全ての意見が名誉毀損になって、結局自由意志も抹殺されて、ブロガーも廃業しなければいけませんよ。
論理的思考も、相手を理解させるには効果的かも知れませんが、逆に人間性を奪ってしまうことも多い。さらに言ってしまえば、詐欺というものは、論理的に説明するから騙されるのです。だから私は論理思考に頼らず、文脈から人間を知ろうとしているつもりです。論理の中に、たまに本音を覗かせることがある、そこで人間がわかる。人間の良さが見える文章を目指したいところですが、まだまだ先は遠そうです。まずは論理的説明で、相手をうまくダマすことから始めなければいかんらしい。
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